2023年2月の記録

2023年2月7日『囲碁将棋の情熱スリーポイント #117』

なんだホンイツ〜/大量の利益

 

2023年2月7日『アルコ&ピース D.C.GARAGE』

マンデーフットボール/中田久美のブチギレ/三笘と笘篠/川崎の逆サイ/鬼デビュー/鬼のネタ見せ/先生、こいつと俺、隣にしちゃって大丈夫?/神輿のうしろ/平仮名のれすとらん

 

2023年2月8日『AuDee CONNECT・水曜日 蓮見翔(ダウ90000)・紗倉まな

青春の土台が違うからって話/エーブイデー/平原綾香/チュチュバスターズ

 

2023年2月10日『霜降り明星オールナイトニッポン

ポチャンは下も水やん/セクロス/チン毛は朝6時の歌舞伎町の言い方/おチン毛はチン毛殿の直接のお客様が来た時の言い方/キムチチン毛は鍋の締めに入れるチン毛/チン毛まんじゅうはチン毛の国のお土産/チンの国の小国/ラーメン屋で鼻噛んだティッシュさん

 

2023年2月11日『オードリーのオールナイトニッポン

俺たちオシャレじゃないから、意味を着るしかないよな

 

2023年2月11日『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』

ズッコンバッコンバース

 

2023年2月12日『脳盗』

昔のTwitter/空いてる良い感じの居酒屋だった/今となってはチェーン店の激安居酒屋みたいな空気感/しかも隣のやつがいきなり頭叩いてくるみたいなね

 

2023年2月13日『聞くCINRA #3 ポリコレとメディア  ゲスト:田中宗一郎

あれが抜けてるっていうあのリアクション、これが入ってないのはあり得ないってやつね。あれは無視したほうがいいと思います。1人の人間が全体の100分の1も把握できないってのが証明された時代なので。網羅するのは不可能なんだから。

 

2023年2月13日『おとなりさん ゲスト:森脇健児

2部のアルコ&ピースおもろかった。三四郎も2部のほうがええやろ〜やっぱり。


2023年2月14日『星野源オールナイトニッポン   ゲスト:佐久間宣行』

お笑いで世界に届くコンテンツを作ってみたい。日本のお笑いって固有名詞とか文脈が芸能界のものが出てくるから外ではなかなかわかんないんですけど。コントなんだけどツッコミを抑えめにして観客が心でツッコむようになると映画とかと同じフォームになってくなって気づいて。


2023年2月14日『アルコ&ピース D.C.GARAGE』

やばたんってロコソラーレ感あるよね


2023年2月14日『奇奇怪怪明解事典 145巻(前篇) Twitterの代わりは何か』

1番嫌いな野球ファンの言葉「あのさぁ」

 

2023年2月15日『AuDee CONNECT・水曜日蓮見翔(ダウ90000)・紗倉まな

逃げずにお土産ね、揚げずにからあげみたいな


2023年2月17日『ナインティナインのオールナイトニッポン 55周年スペシャル』

岡村「2時!」

矢部「19時」

 

2023年2月17日『霜降り明星オールナイトニッポン

僕でよかったら漫才しよか/みりん1年分差し上げます/多分1本!/旅行先で見る天気予報さん

 

2023年2月18日『オードリーのオールナイトニッポン  ゲスト:ラブレターズ

口角あげんなよ/オールナイトニッポンメンバーはヒリヒリしない/血の入れ替えしないと/湯葉いじり

 

『POP LIFE: The Podcast #344 ゲスト:岸田繁

丸の好きな音楽は印象派/リバティーじゃなくてフリーダム

 

2023年2月18日『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』

曲がり竿良し/ちんまんまん!ちんまんまん!

 

2023年2月20日空気階段の踊り場』

水谷選手は骸なんです/エロ本はオチが大事だから/こっちの息子は淡白ねぇ/夜の朝マック

 

2023年2月20日『83 #73』

高校生か…非常に残念なお知らせがございます。四十手前の我々もいまだにこんな感じ

 

2023年2月21日『アルコ&ピース D.C.GARAGE』

俺たちってさ長瀬智也以外の人間って長瀬智也になれなかった人達じゃん/滑り止めなんだ俺の人生

 

2023年2月21日『情熱スリーポイント#119』

メタルギアソリッド/初節句はエロい/させ川15代将軍

 

2023年2月23日『ナインティナインのオールナイトニッポン

唯一使うのはオワタ

 

2023年2月24日 『POP LIFE: The Podcast #345  ゲスト:岸田繁、伏見瞬、照沼健太』

根っこは人って変わらへんなぁってね、自分を変えるって難しいし。でも人のパースペクティブがなんであるかっていうのを自分に取り入れることでかなり変わっていく気がする。

 

2023年2月25日『オードリーのオールナイトニッポン

おい錦鯉 渡辺!工場から直でAVを買っていること、死んでもやめんじゃねえぞ!

 

2023年2月27日『83#74』

人類初の実家推奨ラジオ

 

2023年2月27日『空気階段の踊り場』

淫獣と書いて"こぶた"と読むかもしれない

 

2023年2月28日『アルコ&ピース D.C.GARAGE』

ちょっと水嶋ヒロ想像して。絶対前髪濡れてんのよ

 

2023年2月28日『囲碁将棋のスリーポイント#120』

ファンって変な動きするじゃん/なんでダイナマイト作ったやつの賞ほしいんだよ/真心ブラザーズがOKだとしてたとしても俺だったらショックだもん/女子アナと結婚するアンダースローのピッチャー/新横浜の次が名古屋って乱暴じゃん

 

 

めちゃイケスタッフって岡村隆史を頑張れば何でも出来る超人だと勘違いしてたよな

46:それでも動く名無し:2023/02/02(木) 11:44:52.21ID:3oPuHMU400202
ナイナイ過小評価路線はほんま謎
じゃあ他にできる奴おんのかよって話や

99:それでも動く名無し:2023/02/02(木) 11:58:05.38ID:LvR0H/evd0202
>>46
おらんからめちゃイケみたいな番組をやってもめちゃイケほど成功しないんやろ

 

 


滝口悠生『ラーメンカレー』

もう、若かった頃のように若くはないのだ

十五年経って、思いもよらなかった場所にたどりつかないひとなんているのだろうか。

いまの安心というよりは、いま感じている恐怖がいま以上大きくならないことがわかって夫は安堵したのだと思う。

私の来し方は一見紆余曲折を経た、行き当たりばったりなものに見えるかもしれないが、実は慎重派で、基本を押さえることを重視するタイプなのである。

いまや私は、かつて私を惑わせ狂気の淵に誘おうとした「どこまでがカレーなのか」という問いを問うことはない。もはやどこまでもがカレーであり、私の行くところすべてカレーであるという気持ちだ。

すべての出会いは運命的だ。私は本当にそう思う。私はラーメンと出会い、そしてその後カレーと出会った。その幸運を思えば、つらい調理場時代も決して無駄な回り道だったとは思わない。

胸はなにでいっぱいになるのだろうか。窓目くんは、日本語ではそれをうまく言い表せなかった。愛情とか愛おしさとか近そうな言葉は思い浮かんでも、その語で言い表そうとすると、抵抗とも恥じらいともつかない違和感に襲われた。その違和感じたいが懐かしかった。

問いの数だけ語り方がある。語るべきことは尽きず、語る情熱は話を遡行させ続け、どこから話しはじめればいいのかわからない。でもすべての話はただひとつ、自分がシルヴィと出会ったあの一夜にだけ行き着くのだ。

日本には窓目くんと付き合いきれる女はたぶんいない。

思いを寄せた時間が長くなればなるほど、思い出すべき時間も長くなり、こちらの身が持たない。死んでしまう。色恋で身を持ち崩すのは、そういう理屈に帰すると思う。

孤独が俺になにかを語らせようとし、なにかを記そうとさせるのだろうか。

自分の心中で呟かれた言葉も、過ぎればすぐにその語尾は曖昧になった。

俺は残念で生きている。期待が外れ、約束が破れ、恋慕が挫けて残った念が俺の人生を繋いできた。

ある出来事について書き記そうとすれば、そこに至るまでの時間が流れ込んでくる。

生きている限り避けがたく直面することになる悲哀を、絶望を、断念を残念を、悲しみながらも笑ってみる

でもいつだってこんなとき自分は、こんなふうだった。謎の歌謡曲が爆音で流れているみたいに奇妙な状況のなかで、悲しみや情けなさを、いたたまれなさや至らなさを、行き場をなくした欲情を持て余してきた。

気づかぬうちの華が咲きすぎて、どんな言葉も、どんな表情も、わかるとかわからないとか合っているとか違うとか判断する余地などないくらい旨が、体じゅうが、あなたでいっぱいになった、と窓目くんはもう自分のそばにいないひとたちに言いたい。それが恋人であれ、友人であれ、親やきょうだいであれ、あなたのことをちゃんとわかってないかもしれないが、あなたが私のなかでいっぱいだった、と思うし、伝わるのならそう伝えたい。

 

文學界 2023年3月号

特集:滝口悠生の日常

文章の中に、その時空にはいなかった誰かとか、なかった出来事のことを書くには、いまここにいてほしい、あってほしいみたいな気持ちが大事だと思っていて。

 

保坂和志『未明の闘争』

だいたい見るというのは一人でするのではなく、心にかかっている誰かといつも一緒にする。

ただ自分があのときああしたのは何故なのかというフィードバック機能だけが人間だけにあるかないかの違いなのではないか。

人間が持ったメディアは体ですだから体が本当は無限に向かうためのメディアですと私は思います。

自分の誕生日は他の数字と入れ替わったりしないから数じゃない別のものだ。平安遷都七九四年とか王貞治のホームラン八六八本とかも、記憶している人は他の数字と絶対入れ替わらないから数じゃない別のものだ。石川五右衛門の五を四や三や六と間違わないのと同じことだ。

無意識は本人よりずっとたくさんのことをチェックしている。

人は激しい現実に遭遇したとき、「ウソだ」とか「信じられない」とか言うが、信じられないことこそが現実となる。

人生の時間の流れに出遭いや出来事が点在するなではなく、出遭いや出来事が起きるそのつどそのつど人生の時間に流れが起こる。

現在とは何十年前であろうと、それを現在状態たらしめようとする記憶装置なんだ。

高志はまだ十七年しか生きてないから四十歳五十歳の人間の記憶がどうなってるか想像もつかないだろうが、そういうささいと思うことを三十年経っても四十年経っても憶えてるものなんだ。

誰かの魂が誰かの肉体を借りるということは体の動きが肉体の持ち主の動きになるということだ。

人にわかるように言った途端にそうじゃなくなるのよ。

 

乗代雄介『皆のあらばしり

学問とは乞食袋の如きものと言うやろ、なんでも取り込んで、後で選わけろっちゅうことやがな

打算っちゅうのは十中八九、空振るもんや。大半の人間はそこでやめてまうから打算に留まるんやで。それを空振りしてなお続けてみんかい。打算でやっとったら割りに合わんことばっかりなんやから、そんな考えはすぐに消え失せるわ。積み重なる行為の前には、思考や論理なんてやわなもんやで。損得勘定しかできん初手でやめてまうアホはそんなことを理解できんと、死ぬまで打算の苦しみの中で生き続けるんやけどなー

この世はな、知らんことには、自分が知らんという理由だけで興味を持たれへん、それを開き直るような間抜けで埋め尽くされとんねん。せやから、自分の知っとる過去しか知らずに死んでいきよる。

己のことを考えるから苦しむっちゅうことに気付かず、今に通用する身の振り方だけを考えて、それを賢いと合点して生きとんねん。

 

橋本治『雨の温州蜜柑娘』

年齢のパラドックスというわけでもないが、大体人間は、年をとると「いつまでたってもお若い」が可能にはなっても、しかしそのクセ若い内には平気で「あんたもういつまでも若くないんだから」と言われてしまうという

つまり、いつの世にも、世間知らずの娘は世間の力によって世間を知らされないまんま、世間にうまくはめられてしまうということなのであった。

頭がピンボケでも人生が充実しているというのは、手の内に"疑問がなくて目的がある"という配牌あってのことだから、麻雀(人生)は運も技術の内である。

昔風の考えでいけば、若者のつとめとは大人の様式をマスターすることで、それさえマスターしてしまえば大人として現実社会に出て行くまでの期間いくらでも遊んでいてもいいというのとになっていた。

だって、女は妊娠するのよ。母になるのよ。そのことが、あまりにも公然の日の目を見ないでいるのは不合理じゃない。

私なんかさ、苗字変わっちゃったら、今までのことなんてみんなチャラになっちゃうからトクじゃないかって思うのね。

世間の決めた"自主性"なんていう路線とは遠く隔たったところに醒井涼子のオリジナリティーはあって、そして彼女は、平気でそのオリジナリティーだけで行動しようとしているのだ–いつも。

醒井涼子が胸の奥で感じた"さみしさ"と

いうのは、実のところ「ひょっとしたらもう自分は一人で生きて行けるのかもしれない」という、依頼心とは手を切った人間の胸に生まれる"さみしさ"だった。

"自分"というものは初めからあるものではなく、人との話の中に生まれて来る。

さまざまな偶然はさまざまな選択を招いて、でもさまざまな偶然というものはホントに、なんということない顔をしているから、人は、それが自分の為にさり気なく訪れてくれた偶然だということにはなかなか気がつけなかったりもする。

“自分の好きな人”という概念が死滅してしまった核戦争後の未来に生きるようなもんで、“1番好きな人“という世界を中心で支える概念が死滅してしまった以上、世界の枠組を変えるしかない。

醒井涼子はすかさず、「いいわよ!」と言っていた。それはほとんど、今まで一度だって人からほめられたことのない、リズム音痴のタンバリン叩きが遂に“リズム”なるものを呑み込んだという、そんな感じの答え方だった。

 

ヤマシタトモコ『違国日記』10巻

まあ書くというのは対外的にどう見せたいかという行為だから

 

 

伊藤整『鳴海仙吉』

頭がよくて、実践力があって、自己表示癖の強い青年がいる。その人間のエゴは何を手段にしても、何を主義にしても、自己を世間に押しつけて英雄意識を満足させたいだけだ。

生きるということ、物を食うということは、決して私が習い覚えたような机上の作文ではない。実にそれはさんたんたる苦心であった。

何ということか、何ということか。政府の無責任と冷酷と、民衆の脱法と嘘いつわりが、今日の我々日本人の生存の実相であつたのか。

ほとんど、二十五歳から、人間は進歩しないようだなあ。

どこにも縁のない存在として人々の中を歩く、だから都会の中に来て始めて、人間は孤独になる。肉体と心情が裸になり、単純な一人の人間としての自分を意識するのだ。

作者の体験記ならざる作りものの小説が発生するところには、必ず社会悪なる富の偏在が先行している。

そうだ、痛い場所ほど人は触れられても笑っている…しかしその場所の限度は鋭敏だ…笑いの一瞬が過ぎると激怒となる…

すべてが、そうだ、おれの性質が、ささくれだち、明るさに背に向け、それでいて卑怯な計算をせずにいれない、おれの生れつきが、とつくに決めて居たことが、今になって明るみに出、友達にもやっと分つたとという事なんだ。

芸術家において手段という芸術のジャンルは偶然によって決定される。

手や足を切って捨てることは出来る。ことに他人の手や足なら比較的容易である。眼球を抜いて棄てることも出来そうである。しかし自我を抜いて棄てることは、どんなに努力しても私には出来そうもない。

汽車は、見知らぬ群集が作る移動する都会だ。群集の中に、一つの単位になって知られずにいることは何といいことだろう。

 

2月に聴いた音楽

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